オモテには決して出ない



「松田 お父様が鍼灸師だったんですね。

向野 そうです、福岡で開業しておりました。


松田 そのために鍼灸をしようと思って、医師になられた

ということでしたね。そういうお医者さんは日本でも

少ないので、鍼灸界は先生の活動を期待をこめて

見つめてきたと思うんです。まず初めに、鍼灸に関心を

持ったいきさつから聞かせてください。


向野 一番は、やはり父親の治療の効果を見たことです。

最もショッキングだったのは、小児頭大の子宮筋腫が

お灸で消えたということです。僕が中学生の頃です。

肝硬変の腹水が消えるとかね。そういうことを見たり

聞いたりして育ったのと同時に、当時うちには患者さんが

常に10人ほど長期滞在してたんですよ。


松田 入院ですか?



向野 入院させると法的に問題があるのですが、家が

広かったもので。


松田 滞在させる空間はあったと。それは珍しいですね。


向野 それで、朝晩お灸と鍼で治療するんですよ。

食事は玄米菜食です。青汁も毎日出します。

父は当時、桜沢如一先生のマクロビオティックなどを

勉強して、患者に実践してたんです。


松田 そういうお父様でしたか。



向野 食養と鍼灸を徹底してやって、皆さん元気になって

帰られる。そういうのを見て育ったことがすごく大きいと

思います。父親自身は鍼灸師という立場で悔しい思い

診断ができないなど もたくさんあったわけですから、

「息子は医者に」という思いが強かったと思います。

僕はあまり言われませんでしたけど、

内科医をしている兄貴なんかはよく言われていました。

当時、父は兄に家庭教師を2人付けて勉強させていました。


松田 医学部に入るためにですね。お父さんの養育の目的は

はっきりしていたわけですね。



向野 長男についてははっきりしていたと思います。

僕は放置されていましたけど。それでも見て育っていますから、

どうしてここでは診断が行われないのかという疑問を感じ、

どうにかしたいという思いが医学部を目指すきっかけに

なったんだと思います。

九州大学医学部の学生だった20歳の時、クラスの文集に

投稿した「東洋医学」と題した文章の中で最後に、僕は

次のように書いているんですが、今改めて読んで、

40年前と少しも変っていないなと感じます。


「明治以来行政的に撲滅され長きにわたって、陽の目を

みなかった東洋医学も、今や多くの関心を引き付けるに

至っており、百年の遅れを取り戻すべく努力が開始されている。

東洋医学に対する認識を書き改める時期に達しているのである。

日本の東洋医学の内臓する多くの行政的問題点や

夾雑物を同時に解決していかない限り、真の発展は

あり得ないであろう。また、哲学が問題を発見し、科学が

解決するのであるが、東洋医学の正しい理解は東洋哲学が

提起した独自の生命観、世界観の解明でなければならない。

しかも、単に東洋の西洋科学化であっては決していけないであろう。

何故なら、原理・出発点の異なる東洋と西洋を簡単に結婚させ、

東洋を西洋の理論で安易に置きかえることは、東洋の独自性の

否定という大きな危険をはらんでいるからである」



松田 先生の東洋医学に対する洞察が不変であるとともに、

この40年間、特に国の医療制度の面で鍼灸のアウトサイダー的な

位置は変わりませんでした。先生の志は若々しいまま、

今も意義を持っているわけです。


向野 そうですね。変わりようがないわけです。

周りがあまり理解していないから、そのまま、ということです。

その意味では、ただ医学部を卒業しただけでは、

実際に臨床で鍼灸をやれる場は当時も今もまずないですね。




向野 前は生理食塩水をツボに打ってたこともあるんですよ。


松田 今回の総会でも報告されていましたね。



向野 生理食塩水を皮内に打って、

ツボをぐっと膨らませるんですよ。

ちょうどツベルクリンを打った時みたいになるんですけど、

あれを大きくするんです。

これはもう劇的に効くんです。


松田 それは前から分かってたんですか。



向野 そうです、ずっとやっていました。

ちょうど僕が三重県にいた時にやり始めたんです。

鍼のない時にちょっとやってみたらすごく効いたものですから。

それをシステムとして使うには、要するにM-Testと同じ方法で

やればいいんですけど、そうでなくても、痛いところに

打ってもよく効くんですよ。三重県にいた時に、

所属していた内科の助教授が、実験室で倒れたまんま、

8時間も動けなくなったんですね。



松田 どうしたんですか。


向野 ぎっくり腰の痛みでした。整形や麻酔科の医師が皆

来まして。たまたま僕が出張帰りに病院に

寄った時だったんですが、

「いいところに来た、お前何とかしろ」と言われて。

その前に誰か鍼を試したみたいです。

でも鍼ではだめだった。


松田 だめでしたか。



向野 神経ブロックもだめで、他の方法もだめで。

それで注射と生理食塩水を準備してもらいました。

背中の痛い場所の皮膚を、生理食塩水で膨らませるだけ。

それを繰り返していったんです。


松田 何か所か。



向野 7、8か所やりました。それで

「先生起きてください」と言ったら、

すっと起きたんですよ。その人は病院協会の理事を

していたので、その時の体験を病院協会雑誌の中で

取り上げたんです。しかも、生理食塩水の皮内注をご自身が

患者に応用することになったことや、僕のことをM君と

紹介していた。それを朝日新聞の編集委員の人が見て、

その先生に何度も電話をかけたらしく、その先生から僕に

電話がかかってきたんです。僕はもう福岡に帰っていましたから。

「もうお前の名前を明かしていいか、僕が説明するより

ずっといいから」と言うので、いいですよと答えたら、

今度は朝日新聞の人から僕の方に何度も

電話がかかってきたんです。

だけどその時に僕が恐れたのは、これが普及したら

鍼灸師はすごく困るということでした。この技術は簡単だし、

お医者さんもやる気になったらいくらでもできる。

鍼どころの効果じゃないわけですよ。

ですから朝日新聞の人に、弱者の味方でいてくださいと

言ったんです(笑)。そうしたら気を付けて書きますと言ってくれて、

ちゃんと原稿も見せていただきました。関東地区の新聞に

コラムとして掲載されて、以降、その人といろいろなつながりが

できました。朝日新聞出版の『現代養生訓』(長倉功著、1997年)

の中でも僕の手技を取り上げてるんです。



松田 医療のなかでは、生理食塩水を皮内に打つのは

知られた手法なんですか。


向野 生理食塩水を皮内に打つ

という発想はあまりないですね。



松田 薬そのものをツボに打つという薬鍼は、

韓国で流行っていますね。



向野 ああ。中国では水鍼療法とかいって、古くから

やっているんです。あれは深く刺しますよね。

深く刺す必要はないです。それでずっと生理食塩水を

使っていたら、とうとう事務の方から

「先生やめてください」と言われました。

要するにレセプト(診療報酬請求明細書)を出したら、

生理食塩水なので、それを打つという使用法は

保険が認められないんです。生理食塩水は保険請求するより

原価のほうが高いんです。そう言われたので仕方ないから

やめて、今は、M-Test でやってうまくいかない場合がまれに

あるので、そういう時にちょっと使うくらい。

生理食塩水ではなく注射用の薬の入ったものを皮内に打つ

というやり方をしてます。



松田 ツボが表面だけでなくて構造を持っているならば、

その構造に食塩水が入ってぐっと圧迫したり

広げたりしますよね。


向野 広げるということだと思うんですよね。

例えば敏感な人がいて、ツボの部分、

例えば合谷を刺激すると、響く範囲があるとします。

その範囲が動いたりしましよね、広くなったり狭くなったり。

人によってはそれが狭くてピンポイントなんですよ。

ピンポイントを狙って刺激するのはものすごく大変です。

ならば最初からじゅうたん爆撃がいいということで、

それで生理食塩水を打ったんですね。



松田 なるほど。鍼灸師で技術を持った人は、

ピンポイントを狙うのが鍼の特技だと考えて、

一生懸命狙い打ち打ちをしますよね。



向野 そうそう。だけど僕は、誰でもやれるためには

ピンポイントじゃなくてもできる方法でと思ったんです。

それで最初、鍼先が10本くらい出ている小さな集合鍼を

作ってくれって頼んだんですよ。試作品を見たら、

突起は出ているんですけど、全然役に立たない。

これじゃあだめだと言ってから、そのままになっていたんです。


松田 それは梅花鍼の小さいようなやつ?


向野 刺さらない鍼なんですけどね。そのままになっていて、

ある時突然、2年前くらいですかね、これを作ったからと

言って持ってきてくれたんですよ・・・」


『病気は日常の動作に発見できる 経絡テストからM-Testへ』

向野義人



松田博公対談集『日本鍼灸を求めて』緑書房






世の中にはオモテには決して出ない本物の情報がある

しかしその本物の情報に触れる機会はまずない

だってオモテには決して出ないのだから 笑

  


2021年03月25日 Posted by ハリィー今村 at 06:17Comments(20)