人間同士のつながり



このわたしの掌にあるのは、

鍉鍼(ていしん)と呼ばれるハリだ。

材質は純銀製。

太さは見ての通り、一般的な刺すハリよりは

だいぶ、太い。

それも、そのはず。

これは刺すハリではなく、刺さないハリだからだ。

刺さないハリは、この鍉鍼(ていしん)だけでなく、

数種類、存在している。

その刺さないハリのなかでも有名なのが

大阪辺りで昔から盛んな小児鍼(しょうにしん)だ。

五寸釘を面取りしたような太いハリで、

幼児から子供の皮膚表面を巧みに擦過する要領で行うハリの手法。

いわゆる疳の虫と呼ばれる子供の精神症状に著効を発揮し、

あるいは小学生あたりでは、テストの成績が

小児鍼をすると、いきなり100点を取ったりと、

そんなサプライズを演出するのも小児鍼の特徴だ。

じつは皮膚には脳の学習や記憶に関する分子の分泌受容装置と

おなじものが、組み込まれていることがわかっている。

大胆に言うならば、皮膚=脳、脳=皮膚、なのだ!

だから、皮膚を刺激する鍼灸指圧が

精神を安定させて、脳を休め、脳を活性化し、

子供のテストの点数が小児鍼で良くなることは、

当たり前と言えば当たり前なのだ。

この鍼灸指圧師の当たり前が、

一般の皆様の99.9%にとっては、

当たり前ではなく、意外でビックリだという事実。

この一般の方にとっての

意外という事実を

当たり前にしていくために、

わたしはこんな風にブログを使って、

日々、鍼灸指圧の素晴らしさをアピールしているのだ!

どんなにいいものでも、

その良さがわからなければ、

そのうちにそんないいものは、

ひとびとに使われることなく、

やがて、すたれてしまう。

いま、まさに、鍼灸指圧という伝統医療は、

その、すたれる一歩手前、

いや、ほぼ、すたれてしまった。

これで、いいのか?

こんな状態で、いいのか?

鍼灸指圧は日本で1500年も伝統的に受け継がれた日本人が

その先天的な才能で洗練させたクールジャパンな文化なのだ!

だが、しかし、そんなクールジャパンな文化でもある鍼灸指圧の

素晴らしさが、ちっとも一般に浸透していない。

なぜだ?

どこにその原因があるのだ?

自問自答しつつ25年もの時が流れた。

大手メディアはスポンサーである巨大資本の宣伝媒体だ。

だから大手メディアが発信する情報に、

鍼灸指圧の素晴らしさを伝える情報は、ないっ!

いっさい、ないっ!

ぜったいに、ないっ!

なぜなら、鍼灸指圧業界は

大手メディアのスポンサーたる巨大資本では、

ないからだ。

そんな構造的なカラクリだけが、

原因ではない。

鍼灸指圧業界のパイを横取りする大手のリラク産業の繁栄も、

鍼灸指圧業界を傾かせる大きな要因に育った。

モロモロのアウェーな展開が、うまく、

いや、悪く作用し、鍼灸指圧はある意味、

どん底に沈殿した。

どん底。

いつも、どん底。

でも、そんな、どん底の気持ちをその都度、

救ってくれたのは、他でもない地元、

遠方の我が治療院の常連さんたちだ。

昨日も愛知県は東海市から、常連さんが来院した。

在来線、新幹線、特急バス、と公共交通機関を使って、

片道、3時間近くかけての来院だ。

諸事情で半年ぶりの来院だったので、

気の動きのエンジンがうまくかかるのに、

あと数回ほどかかりそうな感触を得た。

でも、指圧の後に、ゴウコクに鍼を打ち、

スーッと寝入ってしまったMさんのお母さんの姿には、

こちらも癒された。

治療は、決して一方的なものではない。

患者が癒された時、治療者も癒されるのだ。

人間が人間を治療するのだ。

そこに人間同士の気の交流が始まる。

だから、癒し、癒され、癒し合う、

そんな関係性ができてこそ、

それこそが治療の場なのだ。

カリスマも、神の手、も要らない。

人間同士がつながることが治療なのだ。

  


2017年07月31日 Posted by ハリィー今村 at 06:46Comments(5)

気持ちいい鍼



ジェット・リー主演の映画「キス・オブ・ザ・ドラゴン」。

主人公のリーは中国の特殊警察のトップ・エリートで、

フランスの警察内部に巣くう暗黒組織を撲滅するために、

潜入工作をして、そのボスを仕留めるという役柄。

役名は忘れたが、リーのリストバンドには、

いつも鍼が装備されており、

ときに応じ、このハリを刺客に打ち、

一瞬にして相手の動きを封じ込める。

また痛手を負って興奮したヒロイン相手に

ハリを打ち、そのヒロインをハリで寝かしつけてやる。

リーの持ち味のカンフー・アクションとは違う

そんな鍼治療のシーン、鍼アクションのシーンが

印象的なのが、この映画だった。

もちろん一瞬で相手の動きをハリで封じ込めることなどできないし、

ハリで即座に睡眠を誘導することもできない。

でも、鍼をこんな風にエンターテイメントの世界に落とし込み、

ハリの魅力を伝えた映画は、この映画くらいのものだろう。

鍼は本当に気持ちがいい。

ハリの魅力に取り憑かれると、

鍼のない人生など考えられなくなる。

わたしの患者さんには、ハリ歴40年以上という凄腕?

の患者がいる。

まだ20代の若い頃に、腎臓を1個、外科手術で切除せよ、

と西洋医に言われた時に、どんな巡り合わせか、

たまたま盲目の鍼医の治療を受けた。

その盲目の鍼医は彼の体を診て、そんな事をしてはダメだ、

オレのハリを受けていれば、腎臓を1個取る必要はなくなる、と

言い渡し、彼はそれを信じてハリ治療を続けた。

その鍼治療のお蔭か、彼は腎臓を1個取ることなく、

その後、その鍼医が亡くなるまでそこでハリ治療を受け、

それからは自分に合う鍼医を転々とし、

いまは私のハリ治療で健康を保つことに落ち着いている。

彼曰く、鍼にも、いろいろあり、

ただなんだか知らないがブスブスとハリを打つのもあれば、

お宅のように気持ちいい鍼を打つ鍼医もいる。

ブスブス打つハリは効かないが、

気持ちいい鍼は、よく効く、とのことだ。

気持ちいいハリの証拠は、

鍼を打たれていると、寝てしまうこと。

彼はいつも、こう言う。

「なんで、ハリなんていう刺して

痛いはずのものを打たれていて、

こうして寝ちゃうのか?

ほ〜んと、鍼って不思議!

それで、よく効くんだよ」

冒頭の写真は私が自分の手の親指と人差し指のあいだのツボの

合谷(ゴウコク)にハリを実際に打っている写真だ。

このゴウコクに鍼を打つと、

うまくすると、即座ではないがスーッと睡眠誘導できる。

あるいは、ゴウコクは認知機能をアップする。

むかし、NHKの特番でこのゴウコクへ鍼を打った後に、

集中力が高まることを実験で証明していた。

ゴウコクには脳を休めると同時に、

脳を活性化する作用がある、と私はみている。

ジェット・リーがヒロインを眠らせるために打ったツボが

どこだっかたは、今、思い出せないが、

睡眠を誘導できるツボは背中にもある。

鍼医になる前は、私もハリなんて痛いものを打って、

なぜ体が健康になるのか、そんな世界は想定外だった。

でも、鍼医になって25年以上経った今では、

ハリで体が気持ちよくなり、

鍼で健康増進ができるのは、

当たり前の世界になった。

ハリの世界を知ると知らないでは、

生きる世界がまったく異なってくる。

鍼治療歴40年以上の凄腕の患者さんが、

もしも20代でハリの世界に目覚めなかったら、

もしかしたら、今は生きていなかったかもしれない、

とは当の本人の弁だ。

気持ちいい鍼を知りたければ、

ぜひに当院「鍼灸指圧 光伯堂」に

お気軽においで下さい。
  


2017年07月31日 Posted by ハリィー今村 at 01:04Comments(2)

エイジング賛

光伯堂のオーナー用の駐車場から朝日を拝む


「老人力」という言葉を生み出して、

老人力ブームを巻き起こした前衛芸術家の故・赤瀬川源平さん。

路上で不思議な物件を見つける路上観察学会など、

そのユニークな活動で、生前はいつも人々を楽しませた。

その赤瀬川さんのエッセイに、

老人力を先取りしたようなものがある。

それは、鏡で自分の顔を見ていて、

鼻のなかに白いものがあるのを見つけて、

いったい、コレは何だ?

と良く見ると、それは鼻毛が白髪になったもので、

歳を取るというのは、こういうところから始まるのか、

と愕然とするくだりだ。

私の鼻毛にも白髪が交じるのは普通になった(笑)

いや、鼻毛に白いものが混じるのは、さほど怖くはない。

そう、鼻をずっと上にあがった頭部。

ここがね、ちょっと痛い(笑)

なんというか、どうも額の両脇から攻め込まれてきていて、

ようは自然な剃り込み状態。

で、名づけてビーバップハゲ。

トオルとヒロシだって、今では立派なオトナだもん。

こっちも、歳を取るわけだよ。

鼻毛白髪のビーバップハゲ。

あんまり誉められた外見ではないが、

じつは外見のみならず、内面も、なかなか来てる。

そんなの自慢するな(笑)

いつだったか、ことしの春頃には、

治療院で治療用のスツールをまたごうとして、

思いっきりそのイスの足を蹴って、

スネに消えない傷を作った。

それから少しして、5月の中頃に、

したの娘がロタウイルスを拾ってきて、

突如、嘔吐下痢を発症して、難儀した。

このロタウイルスなるものの感染力は凄まじいものとされ、

つぎにうえの娘にパンデミックした。

オトナは普通は抗体を持っているので感染しないとされる。

なのに、なんとしたことだ、

このオレだけが、そのロタに感染しちまったのだ!

ふだんから養生法の探求だのと言い、

えらそうに免疫がどうのこうのとのたまわっていたこのオレがだよ、

アッサリとロタに陥落したのだ。

もう、情けないったらありゃあしない。

でも、南無三、来たーーーーッと思った早朝、

そのあとに即座に下痢止めの灸を体にほどこし、

その日の午前に遠方のクライアント様がご来院されるから、

そこだけは粗相をせずに、持たせることに成功したのは、

転んでもタダでは起きないオレなりの矜持だった。

そうして、翌日の予約のクライアント様などには、

こちらからキャンセルの侘びを電話して、

そこから、ソッコーでロタ退治に精を出した。

もちろん、わずか2日でロタを退治したが、

アレいらい、オレの唯一と言っていい特技だったオナラが冴えない。

オレがオナラをすると、

家人が「なにっ?」と返事をするほどに

大きな澄んだ音色がするのがオレのオナラの特徴だった。

それが、今では鳴りを潜めて、

そんな豪快なオナラがアレいらい、でなくなってしまった。

コレっていいのか、悪いのか。

なんだか屁まで勢いを失って歳を取ったようで、

すこし、これにも参っている。

鼻毛白髪のビーバップハゲのすかしっ屁。

なんとも情けない始末だが、

それでも、なんでも、認知症を予防するために、

週に1、2回は手の親指と人差し指のあいだの

ツボの合谷(ごうこく)にハリを打ち、

脊柱管狭窄症を予防するために、

腰椎や仙骨に週に数回は温灸を当てて、

そうして休日には、懸垂を20回ほどやり、

上腕の指圧の時に使う筋肉が落ちないように気をつけることを

習慣にしている。

アンチエイジングなんていう自然の摂理に反した言葉や行為は

わたしは嫌いだ。

でも、鼻毛白髪のビーバップハゲのすかしっ屁野郎に

成り下がった以上、

それなりにセルフケアを実践して、

自分を納得させているのだ。

47歳。もう十分に痛いオヤジだ(笑)

いや痛すぎるオヤジ、

なんとか、エイジングに順応しつつ、

やってますです、はい。

でも、ほら、よく言うじゃない?

どん底にあっても希望を失わないように。

ほら、なんだっけ、あのセリフ。

そう、

陽はまた昇る、って。

だから、それはライジング・サン、だっちゅーの(笑)




  


2017年07月30日 Posted by ハリィー今村 at 03:18Comments(2)

謎解き、いち抜けた!



たしか中国の古い学問に

易というものがあった気がする。

そのなかに、たしか、

一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず、

という言葉があった気がする。

この一が二だの、二が三だの、という文句が、

まあ、なにを言ってるのか、さっぱりわからんから、

その後、2000年だか、3000年だか、4000年だか

知らないけど、のちに易を学ぶ者が、

みんな悩んで、この謎解きに挑戦しなければならなかった。

まったく、なんで、こんなわけのわからん文句を

その頃のどなたか知らない方は言い残したのか?

ほんと、何千年来の迷惑野郎だよ(笑)

ふつうは、この文句は、

太極とかいうおおもとから、陰陽の二極がわかれて、

その太極と陰陽二極の三極が万物を生むとか、

陰陽マークの中心の接線が三で、その陰陽の交わる接線から

万物が生じる、とか、そのへんがメジャーな解釈。

でね、わたし、気がついちゃったの!

いや、冒頭の蚊取り線香を二つ並べた時に、

ピンッと閃いたわけではない。

あのね、酸素は空気中の気、窒素も空気中の気、

だから、これを空気とか大気と呼ぶんだけど、

その酸素を吸ってヒトは息し生き、

その窒素を食べてヒトは生きている。

ということは、一は空気、その一なる空気のなかの二気、

つまり酸素と窒素が万物ならぬヒトを育む。

いや二気が合わさった一酸化窒素という第三の気。

この一酸化窒素という第三の気が血管を拡げてくれるから、

残りの二気の酸素と窒素が血流に乗って、

ぜんしんに運ばれて、ヒトは生きている。

ねっ、オレって、けっこう、すごくない?

自分で言うのも何だけど(笑)

空気、酸素、窒素、一酸化窒素。

一なる空気は酸素と窒素の二を生じ、

二なる酸素と窒素は合わさって一酸化窒素の三を生ず。

この酸素と窒素と一酸化窒素のコラボレーションが

ヒトという生き物を活かすのだ!

易の一節をオレ流に解読する。

やったね!

謎解き、いち抜けた!

  


2017年07月29日 Posted by ハリィー今村 at 20:04Comments(4)

酸素と窒素と一酸化窒素



わたしたちが活き活きと生きるためには、

ある種のコツがいる。

そのコツを今から伝授する。

はなしが長くならないように、

チョー大胆にザックリと申す。

そのコツの第一は、息(イキ)に注意することだ。

生きているとは、息しているということ。

息がしっかりとできると、健康になる。

エアロビクス、ヨーガ、太極拳、丹田呼吸法、

みな、すべて息をしっかりと吸うための

健康法で、だから理に叶っているのだ。

吸った息に含まれる20%の酸素は肺のなかで、

血液中の赤血球のヘモグロビンという分子に

くっつくと、そのヘモグロビンにくっついた酸素は、

全身の細胞に運ばれる。

そして全身の細胞は酸素をもらうと、

その細胞の中のミトコンドリアという小さな共生体が

酸素を燃焼してエネルギーを生み出してくれる。

このミトコンドリアが酸素を使って生み出すエネルギーが

ひとを生かしているのだ。

そして、さきほど吸った息のなかの残りの80%の窒素は、

血液中のヘモグロビンにはくっつくことができないので、

そのまま吐き出されてしまう。

この空気中に80%も豊富に含まれる窒素を

人間に与えてくれるのは食べ物なのだ。

食べ物のアミノ酸に含まれる窒素が人間の窒素源だ。

この窒素という元素は人間の活動になくてはならない元素で、

DNAやタンパク質を作るのに欠かせない元素なのだ。

最近になって高齢者もタンパク質をちゃんと摂取せよ、

との指示が医療ガイダンスとして出されているが、

タンパク質には窒素が含まれており、

高齢者もこの窒素をちゃんと摂取せねば、

窒素をもとに作られる筋肉が出来ないぞ、というのが

このアドバイスの真意だ。

ということで、人間は残念ながら肺で空中窒素固定ができない。

だが、その替わりに枝豆の根っこで、リゾビウムという

窒素固定細菌が空中の窒素を取りこんでアミノ酸に

変換し、それをアルギニンのかたちで枝豆のなかに

たくわえて、その枝豆を食べることで、

わたしたちヒトは空気中の窒素をようやく腸から吸収し、

血液中に取りこんで、血液に乗せて酸素と同じように

窒素を全身に運ぶことができるのだ。

そうして食べ物を介して吸収された窒素は

全身の細胞に運ばれると、細胞内に取りこまれて、

DNAの作用とミトコンドリアの生化学反応により、

人体に必須の新たなタンパク質に生まれ変わる。

つまり、ヒトが活き活きと生きるためのコツとは、

第一に呼吸、

第二に食事、

と言えるのだ!

窒素源であるアルギニンをはじめとした人体に

必須の栄養素をしっかりと食事で摂取し、

ときに呼吸を意識し、意識的に呼吸をコントロールし、

酸素をいっぱい吸い込むことで、

ひとは活き活きと生きることができるのだ。

血液中のヘモグロビンにくっついた酸素と

血液中に吸収された窒素を、

全身の細胞に届けるのが血管壁の拡張と収縮による

血液の流れである血流(けつりゅう)。

この血流を促進するのが鍼灸指圧で皮膚と血管壁で

分泌が高まる一酸化窒素という血管拡張ホルモンなのだ!

一酸化窒素という血管拡張ホルモンがなければ、

血管は広がることができずに、

血液はそこで止まったままになってしまう。

一酸化窒素はじつは人体でもっとも大事で基本的な

ホルモンであることが、ようやく近年の分子生物学の

発展により、わかってきた。

まとめると、ヒトが活き活きと生きるためのコツとは、

酸素と窒素をしっかりと取りこんだら一酸化窒素で

それを回転させる。


そう、だから、呼吸と食事に気をつけたら、

今すぐ「鍼灸指圧 光伯堂」へ

直行だ(笑)
  


2017年07月29日 Posted by ハリィー今村 at 05:50Comments(2)

アンフォルメル



気とは何か、と問われた場合、

それをどんな言葉で表現すればいいのか?

私はこれまでは、まずは科学的な観測機器で

捉えた気には、コレだけのものがあると

列挙することを第一に据えた。

そうして気はあるていど、科学で捉えられるものだ

ということをアピールすることで、

気をトンデモの土俵から、現代人が信じる科学の世界へと

引き寄せるように仕向けてきた。

そうしたうえで、私が掌で感じ取っている気の感触を

語るように努めてきた。

もしも、私が掌で感じ取っている気の感触だけを語れば、

それは単なるわたしの主観として、一笑に付されてしまう。

だから、まずは気はあるていどは科学的に説明できることを

言ってから、自分の主観を述べてきた。

さて、新ブログをスタートしても、

気とは何かを語るという使命はこれからも

ついてまわる。

それで、気をひとことで表現するのに、

ふさわしい言葉が昨日、ポッと閃いた。

「アンフォルメル」

これはフランス発の戦後の芸術運動の一派の呼び名で、

「非定型の芸術」

などと訳される。

冒頭写真は、その日本のアンフォルメルの旗手と言われた

今井俊満の自伝書だ。

ムッシュ今井の持論は

「コピーは最低」

芸術家はほとんどが誰かの模倣で、

そしてある作品がヒットすると今度は

自分の作品をコピーして一生を終える。

そんなコピー芸術をムッシュ今井は

徹底的に嫌い、その作風は年代を追う事に、

ガラッと変わっていった。

あるイタリアの批評家は今井の作風を葛飾北斎になぞらえて

「全細胞をチェンジするアート」

と評した。

私はこれまで気をフォースと表現してきた。

しかし、フォースはあくまでスター・ウォーズのアレであり、

わたしのオリジナルの言葉ではない。

気をアンフォルメルとか、アンフォルメルなエネルギーと

呼ぶのも、ある意味、コピーかもしれない。

しかし、気の動きは、まさにアンフォルメル、

非定型で、縦横無尽に奔放なのだ。

鍼灸指圧とは、私にとってはアートだ。

患者の体内という白きキャンバスに、

私は鍼灸指圧という絵筆で

治療という作品を生み出す。

その治療作品は、一酸化窒素やヒートショックプロテインや

βエンドルフィンやオキシトシンや

コリンエステラーゼなどの

きらきらと輝く絵の具のような分子が飛び散って、

次々に細胞が生まれ変わる曼荼羅図、そう

今井やポロックのようなドリップ・ペインティングだ。

わたしの指先では、分子と気がいつも

ドリップしている。


ムッシュ今井の自伝を読むと、こんな風に、

いつも新たなインスパイアが湧き上がる。






  


2017年07月28日 Posted by ハリィー今村 at 01:37Comments(0)

温灸のすすめ



子供が何かイタズラや悪いことをした時に、

「こらっ、そんな事をしてると、お灸を据えるぞ」

という決まった言い方がある。

コレって、鍼灸指圧師の私にとっては、

お灸のイメージをものすごくダウンさせ続けている

いますぐ止めてほしい慣用句の筆頭だ。

お灸は罰ゲームで据えるようなそんなものではないし、

罰ゲームで据えて、熱い思いで懲らしめて、

なにかを反省させるペナルティーではない。

お灸とは、気持ちいいものであり、

罰ゲームなどではなく、

カラダが自然に欲する快楽なのだ。

いやお灸は快楽も快楽、究極の愉悦だ。

ふつうの昔ながらの灸も気持ちいいが、

この写真にあるような肌を焼かない温灸も

じつに気持ちいい。

温灸器に棒灸をセットして、棒灸の先に火を付けて、

棒灸を少し奥に引っ込める。

そうして間接的に棒灸器の中から輻射熱を皮膚に当てる。

温灸を当てた皮膚面の温度はちょうど、

ちょっと熱い温泉にでも入っている42℃あたりになる。

この42℃という温度帯は、

お風呂の温度だと、だいたい10分間で

体内にHSPが分泌されてくる温度だ。

HSPとはヒートショックプロテインの略だ。

これは生体防御タンパク質と呼ばれる分子で、

細胞が損傷した時にそれを修復するために

体が放つ自己治癒分子である。

つまり温灸を当てて、その気持ちいい部分温泉に浸かり、

快楽の極みで眠くなり、温灸を当てられながら、

眠ってしまっているあいだに、

温灸を当てている部位の皮膚や血管壁からHSPが大量に

分泌されてきて、体がどんどんと修復されて

若返り、よみがえるというわけなのだ。

この温灸、子宝を授かりたい不妊症で悩む御婦人などには、

ピッタリの療法だ。

不妊症体質はえてして血の巡りが悪く冷え性だ。

もちろん、それだけが理由ではないが、

そうした不妊症体質に温灸はすこぶる効果を発揮する。

西洋医学の見立てで機能的、器質的に問題がないのに、

子供が出来ないと悩んでいる御婦人、旦那衆は、

騙されたと思って、いちど、この温灸を試すことを

超絶にお奨めする。

42歳の二人目不妊で悩んでいた御婦人が、

当院の温灸治療、1回30分を6回受けただけで、

目出度くご懐妊され、無事に二人目を授かった実例がある。

不妊症に対して温灸をする場合、

温灸を当てる部位は腰のみで十分だ。

なにかとくべつに恥ずかしい部位をさらけ出す必要など

さらさらないし、当院は最近は個人情報保護うんぬんの

時代背景を鑑みて、電話番号を聞くくらいがいいとこだ。

もちろん治療しながら問診めいたことはするが、

おおむねラフというか、細かいことは

治療師も患者も気にしなくていいスタイルでやっている。

お灸を懲罰のイメージから解放し、

お灸の良さをアピールする。

それもたぶん渚のゴールドフィンガー、ハリィー今村の使命だ。

温灸で「ゆるカラ」を手に入れれば、

その先に子宝体質、健康長寿が待っている。

  


2017年07月27日 Posted by ハリィー今村 at 00:54Comments(2)

ゆるカラ礼賛



日本が江戸から明治にかわる時、

あらゆるシステムが欧米化された。

その時にヘルス&ビューティー部門にも異変が起こり。

東洋的体育から西欧的スポーツに変わったとされる。

体育という言葉は、食育や教育と同じく、

体を育てる、体で育つ、そんな意味合いの

日本的言葉だ。

でも、いまの学校教育における体育は、

どうもスポーツの方向に傾いている、

とそんな風に感じる。

もしも、本当に体を大事に育てるのなら、

今のような学校やスポーツクラブにおける

ハードな部活やスポーツは避けなければならない。

人間のカラダは24歳まで成長過程にある。

この成長過程において無理な運動やスポーツを

体に負荷すると、確実に体を壊してしまう。

果たして日本のスポーツや部活の指導者たちは、

このことを認識しているのだろうか?

東京オリンピックも視野に入り、

やおらスポーツ礼賛ムードだが、

そんなスポーツブームに冷や水を浴びせるつもりはないが、

成長過程における子ども達の体はもっともっと

大事に慎重に育てるべき、

と常々、私は考えている。

筋肉を緊張させて肥大させて

シュワちゃんのようなムキムキの

マッチョマンにすることが、

西欧的な価値観での強い体のイメージだ。

しかし東洋的な強い体のイメージは、

ヨーガに代表されるような強さとは

一見真逆に見える「ゆるさ」なのだ。

いかに筋肉を緊張させずに、ゆるめるか。

ゆるめるとは、許す、赦す、ことに通じると

昨日、月いち来院する名古屋のクライアント様が

教えてくれた。

では、反対に筋肉を緊張させることは、

筋肉を許す、ゆるめるの反対、

筋肉を縛る、拘束する、支配する、

虐げる、固くする、

ことに通じるのかもしれない。

みずからの体を固くしては、

みずからで自己を縛り付けるようなものだ。

その堅さはやがて凝りとなり沈殿する。

凝りをほぐし、筋肉の緊張を解き、

体をやわらかく、ゆるくすること。

そんな柔らかく、ゆるい体の大切さを

本当は学校教育の体育の場で説いてほしい。

柳に枝折れ無し。

暖簾に腕押し。

ゆるさとは、強さなのだ。

そうか、ゆるキャラブームの

真意とは、まさにソレか?

ふむ、では、ゆるいカラダを

略して、ゆるカラ礼賛、でどうだ?(笑)

  


2017年07月26日 Posted by ハリィー今村 at 01:18Comments(0)

世界へ向けて



むかしは、町を歩けば、

一軒や二軒は指圧の看板を見かけたものだ。

でも、いつからだろうか?

目立たない小さな指圧や按摩やマッサージと

書かれた看板のかわりに、

やめたコンビニの店舗の外壁前面を広告にした

大手のリラク産業のド派手な看板が

そこかしこに目立つようになった。

時代の流れと言えば、それまでだが、

国家資格を有するホンモノの指圧師の姿が

町中から消えたのだ。

ホンモノの国家資格を有する指圧の治療院の

看板はだいたいが決して目立つものではない。

なぜなら、わたしたち国家資格を有する指圧師には、

広告制限という法治的措置がかけられているからだ。

広告制限とは看板に書いていい文字が決められている

ということだ。

治療費が幾らであるか、それすら看板に書けないのだ。

医は仁術、医は商売ではない。

それはそれでケッコウな精神だが、

そんなケッコウな精神を守っているあいだに、

亜種のリラク産業が台頭し、

パイのすべてをかっさらってしまった。

町中から指圧の看板が消えたのは、

時代の流れとともに、そんな広告制限という法治的措置が

いまだに厳然と課せられていることも原因しただろう。

わたしの治療院もご多分に漏れず、

広告制限を守っている。

見ての通り、地味な看板だ。

それでも、そんな看板を頼りに、

東は宮城県から、南は宮崎県や鹿児島から、

静岡県内は全域からクライアント様が足を運んでくれる。

時折、外国に在住している日本人の方が訪れる。

アメリカのニューヨークやドイツなど。

みなブログを読んで、来てくれるクライアント様だ。

時代の流れにうまく乗れなければ

これからは生きていけない。

渚のゴールドフィンガー・ハリィー今村は、

今日も地味な看板の光伯堂から

世界へ向けて気を飛ばす!
  


2017年07月25日 Posted by ハリィー今村 at 05:27Comments(0)

枝豆と指圧と一酸化窒素



こんな仕事、鍼灸指圧を生業にしていると、

どんどんと視野が広がってきた。

例えば指圧をすると、その指圧された部位の

皮膚と血管壁では、一酸化窒素という

ガスが発生する。

この一酸化窒素はもともとは毒物と勘違いされていたのだが、

近年になり、人間が正常に生きていくうえで、

もっとも大事なホルモンである、ことが判明した。

その発見をした研究者の皆さんは、すでにその発見の栄誉で

ノーベル賞をもらっている。

だからノーベル賞をもらうほどのとてつもないガスが、

指圧で湧いてくるのだ。

これを称して、押せば命の泉湧く、と浪越徳治郎先生が

仰ったわけではないが、結果的にそのキャッチコピーは

ドンピシャで、指圧がもたらす一酸化窒素の誘発作用を

見事に言い当てていた、ことになる。

今頃、それみたことか、と天国であの豪快な笑い、

ハーハッハッハーと呵々大笑しているだろう。

さて、その指圧された部位で発生する一酸化窒素は、

じつはアルギニンというアミノ酸がもとでそこに

生み出されるのだ。そしてこのアルギニンという

アミノ酸は食べ物に含まれるアミノ酸が血液中に吸収されて、

指圧する部位の皮膚や血管壁にまで運ばれたものだ。

このアルギニンというアミノ酸は、

例えば大豆、つまり茹でた枝豆に含まれている。

夏と言えばビールに枝豆。

この枝豆を食べると、その成分であるアルギニンが

もととなって、指圧をするとそこに一酸化窒素が発生する。

ということは枝豆を食べて、指圧のみならず、

鍼灸指圧はすべて一酸化窒素を誘発するから、

鍼灸指圧をすると、そこに一酸化窒素の泉が湧いてくるという

わけだ。

というわけで、わたしもうちの庭に畑みたいなスペースを

こしらえて、今年も自家製の枝豆に舌鼓を打ったのだ。

これがね、さっき獲ったばかりの新鮮な豆で、

それを茹でて、ホカホカしたのを食べるんだから、

もう本当に旨いんですね!

で、枝豆の根っこのリゾビウムという窒素固定細菌が

空気中の窒素を取りこんでくれたお蔭で、

枝豆にアルギニンというアミノ酸が合成されるというわけで、

一酸化窒素を巡る旅をひたすら探求していくと、

指圧→皮膚と血管壁の一酸化窒素→

アルギニン→枝豆→窒素固定細菌→大気中の窒素、

となって、指先から始まった一酸化窒素ツーリングは、

天空の窒素源へと飛翔するのだ。

と、こんな分子レベルの話は、意外に受けが悪いのは

百も承知で、旧ブログで、もう懲りているんだけど、

枝豆が今年もそれなりに収穫できた写真を

アップしたついでに、

ついうっかり分子レベルを語ってしまいました。

こういうめんどくさい話が嫌いな皆様は、

今回の話はテキトーにスルーしてね。

では、部屋とYシャツと私、ならぬ、

枝豆と指圧と一酸化窒素、でした。
  


2017年07月24日 Posted by ハリィー今村 at 19:28Comments(2)