角煮晦日



年末恒例の豚の角煮を、

今年も作った。

仕事納めの29日の夜に仕込んで、

何回か火入れをして、

今日辺りが一番旨くなる。

お約束の煮卵も。

これを食べると、

ようやく大晦日を感じる。

この器も昨年の夏に陶芸体験で作った自作だ。

適当に作ったら、豚の角煮を入れるのに

ちょうど良い感じの器が出来た。

自作の器に、自作の角煮を盛りつけてと、

なんだか、完全に、めんどくさいオヤジという

イメージだな。

でも、本当にもうオヤジなんだから、

それはそれで良しだ。

今年の7月15日にスタートしたこのブログ。

半年間、お読みいただきまして、

ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
  


2017年12月31日 Posted by ハリィー今村 at 22:26Comments(4)

当たり



本には内容がまったく無いカス本と、

内容がホンモノの当たり本がある。

カス本は多い、いや、本のほとんどは

カス本だが、たま〜〜〜〜〜〜に、

当たり本に運良く巡り会う。

でも、めったに当たり本には当たらない。

当たり本に当たるには、どうしたら良いか?

それは、やはり、当たりか、カスか、の

判定ができるまで、ある程度の量の本を読むしかない。

ある程度の量の本を読んでいくうちに、

カス本と当たり本の区別がついてくる。

そして当たり本のなかから、さらに

大当たりがあることを発見する。

この写真は当たり本を揃えてみた。

もちろん、これは私にとっての当たり本だから、

万人が読んで私と同じように当たり本と

思うことはない。

あくまで私の個人的趣味から当たりと言える本が

ここに並んでいる。

本の知識など、言っては悪いが、

くだらん。単なる二次元の情報。

だが、二次元の文字で何かを伝える以上は、

いくらか二次元の情報も蓄積しなければならない。

ようは文字情報はツールなのだ。

ツールとして使える本が、つまり当たり本だ。

いわゆる、こうすればこうなる、的な

健康カテゴリー本は、ここにはない。

こうすれば治る健康本くらい内容のないカス本はない。

いや健康カテゴリーはカス本の巣窟だ。

からだはひとりひとりすべてことなる。

その事を無視して健康を一般論で語る事はできない。

万人に適用できる方法論などない。

自分に合った健康法は自分で編み出すしかないのだ。

私の論説は、こうした当たり本の知識を咀嚼して、

書いてきた。

当たり本の情報を収集し、編集すれば、

大当たり本が完成しそうだが、

それはひとことで言えばパクリだ。

オリジナルの言葉でオリジナルの論説を展開し、

それを読んだ読者が感動して、これは当たりだっ!

と思う。そんな本を自分もいつか書いてみたい。

  


2017年12月28日 Posted by ハリィー今村 at 05:14Comments(0)

ヒット・メソッド



本年の個人的ヒット・メソッドは、

このヨーガの「すきの体位」だ。

この体位体操を日課にしてから、

腰痛をほとんど感じなくなった。

おまけに体が軽くなり、

今日もクリなんとかイベントの日なのに、

プレ大掃除に精を出した。

大掃除を年末の休みにやろうとすると、

とてもじゃあないが、やりきれない。

だから昨年あたりから少し学習して、

11月頃から、少しずつ大掃除の前掃除にあたる

プレ大掃除をやるようになった。

それで今年も昨年に習って、

ちょこちょことここまで休日を使って、

こなしてきた。

明日も、できれば少し進めたい。

そうすれば、年末には、

それほどやらなくて済む。

そんな風に休日に掃除に精を出しても、

以前ほど疲れを感じなくなっている。

それはきっと、地球重力テロに打ち勝つための、

この写真のようなメソッドが効いているからだ。

ヨーガを知ったのは、中学生の時。

今から33年も前だ。

その時に読んだ本

佐保田鶴治「ヨーガ入門」を

また最近すこし読み出した。

時間が経ってはじめてわかる凄さがある。

このヨーガの体位の良さも

中学生の時にはサッパリわからなかった。

でも仕事をして腰を痛めて、

歳をとって、同じ体位をやってみたら、

驚くべき効果を実感した。

歳を取ることは決して悪いことばかりではない。

歳を取ったから見えるものがある。

いいものに巡り会えることは、

ほんとうに嬉しいことだ。
  


2017年12月24日 Posted by ハリィー今村 at 19:18Comments(0)

指の知識



前記事に引き続き、

私の本棚公開。

↑これが一番上の棚。






↑これが二番目の棚。





↑これが三番目の棚。





↑これが四番目の棚。





↑それで、これが最下段付近。





↑これは真ん中あたり。





↑そして、これはその下。



ざっと見て鍼灸関連書が多いけど、

種々雑多。

かつて情熱を注いで読んだ懐かしい本あり。

なんだ、こりゃあ、ガス抜き100%じゃん、

というカス本あり。

それなりに学ばせてもらった。

でも、本は本。

データ量の蓄積ではAI(人工知能)には到底かなわない。

AIなんか糞喰らえ。

こっちの生知能は、指にあるのだ!

二次元の文字情報など、たかが知れている。

指から得たこの知識こそが、

AIに勝る本当のホンモノだ!

  


2017年12月20日 Posted by ハリィー今村 at 19:26Comments(2)

中掃除



とりあえずウチのパソコンの周辺に

散乱していた百冊ほどの本を、

治療院の本棚に収納した。

いや収納したというよりも、

見ての通りに、ぶち込んだ。

年末の大掃除の前の中掃除。

お蔭でウチのパソコンのある部屋が、

めちゃめちゃ広く感じる。

家人の評判もいい。

あ〜、いいことをした(笑)

今年は、あんまり本を読まなかった。

まあ、そういう時もあるわさ。

この私の本棚にも、言っては悪いが、

内容はスッカスカというものも、

ままあるが、俺、それなりに

本は選べてると自負してる。

これからはインプットよりもアウトプットの質を、

上げていかねばならない。

これはこれで只今、旧ブログ「養生法の探求」の

「人間、この頭でっかちのサル」の新連載で

奮闘中。

ちょっと写真2枚付きにもチャレンジ。

この下の写真の棚部分は幾らか整理されてる。

うん、いつか、また、上の写真の野積み部分も、

整理しよう。

そのいつかは、たぶん、遠い未来(笑)

チャンチャン。


  


2017年12月19日 Posted by ハリィー今村 at 19:26Comments(0)

かんぴょうき



なんだか、ここんとこ、やたらと寒いね。

そう、寒い時は、うさんぽ、に限る。

うさぎとお散歩。それが、うさんぽ、さ。

でも、うさぎは、ものすごく気まぐれで、

こうしてじっとしていると思いきや、

いきなり脱兎の如く、ダッシュして、

藪の中に逃げ込んでしまう。

散歩どころの騒ぎじゃない。

必死で追いかける。

それがいい運動になるんだね。

あっ、でも、これは「まかいの牧場」のはなし。

ウチには、うさぎはおりません。

いるのは金魚くらい。

金魚も水温が下がってきたせいか、

活性が落ちてきた。

人間の免疫力も寒さと乾燥で下がると、

自分の鼻に常在しているライノウイルスが増殖して、

風邪症状を引き寄せる。

鼻腔内を乾燥させないためには、マスクは必須かも。

もっとも、アタシはマスクはまずしない。

でも、いつだか、マスクをしないで、

ほこりまみれになって掃除をしたら、

次ぎの日から風邪っぽくなって難儀した。

それで、それからは、時に応じて

マスクを試みている。

実際に260万年前からのこの新生代は

氷河期トレンドで、地球はどんどん冷えていく真っ最中。

寒いといっても、今は間氷期の終わり頃で、

本当に寒い氷期ほどではない。

氷期を何度もくぐり抜けて人類はここまで

生き延びているのだ。

このくらいの寒さにへこたれては、

ご先祖様に申し訳ない。

でも、寒いのは、好きじゃない(笑)
  


2017年12月15日 Posted by ハリィー今村 at 06:05Comments(0)

クリスマス、はぁ?、べ〜つに〜



治療院のブックラックを模様替えした。

いちおうクリスマス・カラーにしたつもり(笑)

でも、アタシはクリスマスはべつに重んじていない。

ケーキとチキンが食べられるいい日だね。

というくらい。

だいたいサンタクロースのモデルの聖ニクラウスの命日は、

12月6日で、

クリスマスと関係ないし。

キリストさんの命日いや誕生日がイブの日なのか?

よく知らんが、聖なる日に、

なんでプレゼント合戦をしなきゃあならんのだ?

ほんとよくわからん。

あのプレゼントの慣習だって、

平賀源内の土用の鰻のコピーライティングと一緒で、

シカゴのモンゴメリー・ウォードというデパートが

はじめた売上倍増マーケティングが発端だって言うじゃん。

これじゃあ、俺らが子供の頃のテレビ番組、

まんがはじめてものがたり、だな(笑)

年末に、商売と宗教がごっちゃごろみそになって、

町はクリスマスのイルミネーションで彩られて、

恋人達もウットリ、で宝石商もニンマリで、

どこもかしこも機嫌が良くなって、

景気が上がって、賑やかになってエエね、

ってなもんかね。

まっ、こういう毒舌ネタを家族に言うと、

ウザッ、とか、キモッ、とか、

マジウゼーとか、そういう温かいお言葉が頂けるので、

世のお父さんがたは、一度、試してみるといいぜ。

カミさんや子供っちが2、3日、

口を聞いてくれなくなるのを覚悟しなければだけど(笑)

でも、このブックスタンドに並べてある本も、

言っては悪いけど、ディスプレイには向いてるけど、

内容は・・・。

進化論の領域は、ほんと目も当てられないほどに、

どれもこれも酷いね。

だから突然変異体が既存の種の個体よりも、

優れたケースがひとつでもあったのかよ!

そんな証拠がね、ひとつもないんだよ。

なのに、突然変異の積み重ねが、

進化を促すだって。

普通に考えて、こういうことに

疑問が湧かないってことが、

かなりヤバイよね。

まっ、こんな毒舌ネタばかり言ってると、

知的な皆さんは、だれも相手にしてくれなくなる。

でも、こんな毒舌ネタを言うのが、

アタシの取り柄、アタシの生きる道ですから。




  


2017年12月11日 Posted by ハリィー今村 at 17:04Comments(2)

バカな猿



ここ半年のあいだ、

新刊本を買っていない。

とくに理由があるわけではないが、

あえて理由を挙げれば、

読みたい本がなくなってきた、

ということだろう。

知識や教養は幾らあってもいい。

幾らでも積み足すものだ、

というのが世の識者の正論なのはわかっている。

だけど、言っては悪いが世に出回っている

情報はすべてバイアス(偏向圧力)が

かかっていることを考えれば、

どんな本も情報も面白いわけがないのだ。

エッ、ここまで言っていいの?

エッ、それを言ったら、ヤバいんでないの?

という、そのへんのスリル感、

ヒヤヒヤ感、背筋がゾッとするような

そんなコンテンツにお目にかかりたいというのが、

読者家の密かな野望だ。

だが、それは、たぶん、叶わない夢と知った。

そうと知った以上は、もうセッセと本を買って、

虎の子のゼニをドブに捨てるような真似は

できないと言う結論に達した。

でも、この写真の2冊は、

近年に読んだなかでは、かなりイイよ!

ヒヤヒヤ感とか、そんなのではないけど。

でも、ものすごく深い部分に突き刺さってくる。

とくに右の装丁がブラックの方。

訳者の訳も冴えてるのもあるのかもしれないが、

硬質なタッチで土中から宇宙へと視野が広がっていく。

この本にはネタをいっぱいもらったし。

こういうイイ本に巡り合うのが読書の楽しみではあるね。

言うのは憚られるが、売れっ子の生物学系の著者の

書いた本の内容なんか、ほんと酷いのが多いからね。

「進化はランダムな変異による幸運の連続」

ようは突然変異こそが生物進化の原動力と、

いまだにダーウィン進化論の亡霊が取り憑いた論調が

ほとんど。

突然変異の病変奇形個体が種全体をリードして、

進化を後押しするわけがない。

馬の仲間に、もしもキリンなみに首が長い奇形が

生まれたら、この変異個体は残念ながら、

天寿を全うせずに絶命する運命にある。

自然淘汰とは、奇形変異個体を容赦なく

自然選択で消去してしまう。

それなのにダーウィン進化論では、

進化とは自然選択が突然変異体を選ぶというのだ。

論理的に破綻していることすら気がつかない。

まっ、進化論は、ハッキリ言って、

まだまだ熟成していない脳内妄想の領域じゃね?

なんて、そんな論説に出逢うたびに、

思ってしまうね。

進化が遺伝子だけでリードされてるという

固定概念もそうとうにおかしいし。

そもそも種がガラッと変わるのは、

地球環境が激変してアッという間に、

あらかたの種が絶滅する。

そういう絶滅劇が何度も生じたから、

種が入れ替わっただけ。

そこには遺伝子も細胞質もへったくれもない。

あるのは環境の激変とそれに伴う絶滅だった。

人間もうっかりすればこのまま絶滅する危険を

自分たちで引き込んでいる。

おれたちが進化の最終形でもっとも知性が高い?

ウソもいい加減にしろよ。

おれたちは進化なんかしていない。

いまもってバカな猿だ。

  


2017年12月10日 Posted by ハリィー今村 at 09:45Comments(0)

健康の定義



「健康とは、

全身に血液が滞りなく回り、

その血液から供給される酸素と栄養素が、

全身のミトコンドリアに送られることで、

全身のミトコンドリアがATPや体温を産生し、

そのATPや体温をもとに全身が正常に働くことをいう」
  


2017年12月05日 Posted by ハリィー今村 at 19:08Comments(5)

ガス抜き



世の中には幾つもの正義があり、

幾つもの悪がある。

正義のほうが悪よりもいいに決まってる。

だが、その正義の中にすら悪が

まぎれこんでいる場合も多々ある。

誰がどう見ても正義だということを

声高に叫んでも、いっこうに

その敵である悪が衰えない。

そんな時はその正攻法を疑うことが

必要なのかもしれない。

ただ声高に正義を叫んでも、

その行為それ自体に満足するのなら、

それはいわゆる単なるガス抜きでしかない。

ガス抜きは一見正しく見えるが、

はっきりいって何の役にも立たない。

世の中に溢れる正義はもしかしたら、

そのほとんどはガス抜きではないだろうか?

ガス抜きではない、本当に意味のある正義は、

では、どこにあるのか?

まだ私にはそれがどこにあるのかは

見つかっていない。

  


2017年12月03日 Posted by ハリィー今村 at 19:53Comments(2)