ゆるカラ礼賛

ゆるカラ礼賛

日本が江戸から明治にかわる時、

あらゆるシステムが欧米化された。

その時にヘルス&ビューティー部門にも異変が起こり。

東洋的体育から西欧的スポーツに変わったとされる。

体育という言葉は、食育や教育と同じく、

体を育てる、体で育つ、そんな意味合いの

日本的言葉だ。

でも、いまの学校教育における体育は、

どうもスポーツの方向に傾いている、

とそんな風に感じる。

もしも、本当に体を大事に育てるのなら、

今のような学校やスポーツクラブにおける

ハードな部活やスポーツは避けなければならない。

人間のカラダは24歳まで成長過程にある。

この成長過程において無理な運動やスポーツを

体に負荷すると、確実に体を壊してしまう。

果たして日本のスポーツや部活の指導者たちは、

このことを認識しているのだろうか?

東京オリンピックも視野に入り、

やおらスポーツ礼賛ムードだが、

そんなスポーツブームに冷や水を浴びせるつもりはないが、

成長過程における子ども達の体はもっともっと

大事に慎重に育てるべき、

と常々、私は考えている。

筋肉を緊張させて肥大させて

シュワちゃんのようなムキムキの

マッチョマンにすることが、

西欧的な価値観での強い体のイメージだ。

しかし東洋的な強い体のイメージは、

ヨーガに代表されるような強さとは

一見真逆に見える「ゆるさ」なのだ。

いかに筋肉を緊張させずに、ゆるめるか。

ゆるめるとは、許す、赦す、ことに通じると

昨日、月いち来院する名古屋のクライアント様が

教えてくれた。

では、反対に筋肉を緊張させることは、

筋肉を許す、ゆるめるの反対、

筋肉を縛る、拘束する、支配する、

虐げる、固くする、

ことに通じるのかもしれない。

みずからの体を固くしては、

みずからで自己を縛り付けるようなものだ。

その堅さはやがて凝りとなり沈殿する。

凝りをほぐし、筋肉の緊張を解き、

体をやわらかく、ゆるくすること。

そんな柔らかく、ゆるい体の大切さを

本当は学校教育の体育の場で説いてほしい。

柳に枝折れ無し。

暖簾に腕押し。

ゆるさとは、強さなのだ。

そうか、ゆるキャラブームの

真意とは、まさにソレか?

ふむ、では、ゆるいカラダを

略して、ゆるカラ礼賛、でどうだ?(笑)




2017年07月26日 Posted byハリィー今村 at 01:18 │Comments(0)

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