人間万事塞翁が馬



「明治の初め、西洋医学が正統のものとして

時の政府からお墨付きをもらったのも、

あの天然痘に対する種痘所の苦心の設立と、

そして無慮数十万の生命を奪ったコレラの

防疫対策の成果だったと聞く。

そこでは『細菌感染と発病』そして『細菌撲滅と治療』という、

万人の認めずにはいられない因果の図式が否応なしに

錦の御旗と化して、伝統の東洋医学はしだいしだいに

民間の片すみに押しやられてしまったのであろう。

いうなれば、問題の黒船が新型バイキンを専用の疫学と

抱き合わせにこの国に持ち込んだのであろう。

歴史の必然に裏打ちされた

これが西洋医学渡来の経緯と思われる。


それでは、東洋医学とはいったい何か。

それは一言でいえば、細菌と共存する世界のようだ。

そこでは、だから、つねにそれが可能な体質が問題となる。

しかしこの場合にも、たとえば『抵抗力』といった

ことばは出てこない。それは『予防』とか『殲滅』など

ともいうように、あくまでも細菌を敵性国家と見なす人間の

精神から出たもので、こうした意志的発想は、

本来の東洋医学の世界では育たない。

この平和を愛する国柄は、いってみれば、純白のシーツに

よって撤去されようとしている、あの農村の土間の奥に

藁を敷いた万年床の世界に、ものの見事に象徴される。

『衛生』とは似て非なる、

それは真の『養生』の世界というものか・・・


細胞のからだのなかには、かつての独立生物と見られる

各種の微生物がさまざまのかたちでとり込まれている。

糸粒体、葉緑体、中心小体など。一方、動物のからだを

見ても、そこには無数の微生物が共存共栄のかたちで

寄生している。さらに動物界全体をとっても、そこでは

微生物である菌類の仲介なしに植物との交流は

実現しえない。江戸時代の生類憐みの令に象徴される

ように、もともと東洋人は、こうした自然界に見られる

生物共存の姿をこよなく尊ぶ。

それはナチスがユダヤ人の抹殺を計ったことと明らかな

対照をなすものだが、この国には万葉のむかしから

そうした抹殺の思想が興りえなかったのも、結局は

民族生理とでもいったもののしわざか。」

三木成夫「胎児の世界」中公新書



尊敬する三木博士が流麗な文体で

東洋医学の本質を描く一節。

何度読んでもあまりに素晴らしく

いつ読んでも感動を禁じ得ない。

三木博士もまた日本の誇りだ。



明治17年 医師法が改正され

日本の東洋医学は正統から外れ

以後は医業類似行為という侮蔑的な用語が

当てられて今に至る。

この国は鍼灸指圧を医業とは認めない。

医業の類似行為だってさ。

なんだそりゃあ?

ゆえに診断権は剥奪され社会的地位は

ものすごく底辺である。

しかしそれはそれ。

今回のようなケースではアレを

優先的に打たれずに済む。


人間万事塞翁が馬。

  


2021年03月05日 Posted by ハリィー今村 at 22:38Comments(8)